他人が、目の前の人がどういう人かを考える時に、その人の属性(出自、褒賞/刑罰、経済状況、学歴など)はさして大きな問題ではないはずなのに、
大抵の人はそれを気にしすぎるし、むしろそれだけで周囲の人をジャッジしている節がある。
特に日本社会においては、属性が他者からの評価につながるからこそ本質的でない受験戦争が激化したり、学歴偏重の就活が標準になったりしている。
医者や弁護士だと言われればなんとなく信用できるような気がするし、
フリーターの40代と言われると心配される。
本人がどんな考え方をして、何を大切に生きているか、
にちゃんと目を向けてくれる人は多くはない。
一方で、家族が目の前の人を区別するときには思い出が大切。
思い出を共有することによって1人の人間が他人との関わりの中で形成されていく。
ベン図の重なったところを増やしていくことで自分との重なりが多くなるし、
それ以外の他人との違いが明かとなってくる。
ここまでの二つの視点は星の王子さまにも似たような思想がある
じゃあ、過去の思い出が丸ごと交換されていたらどうなる?
これは一体誰なんだ。
自分が共有してきたもの以外にブラックボックスがいっぱいある感じだろうか
過去はそこまで大切ではないはずなのに、目の前で私と話していた人が確かにあなたのはずなのに、全然知らない人のように感じてしまう
あなたは一体誰だったんだ、と。
結局は原さんは悪い人ではなかったけれど、悪人であったとしても救いがないわけではないはずだ。
ごく普通の幸せな家族の時間がその時あったのは事実で、それ以前の過去は本当は関係ないはずなのだから。