ことばえらび 

読んだ本 聞いた言葉 忘れられない事

傑作はまだ 瀬尾まいこ

他人の気持ちがわかるなんて思ったら大間違いだ。とたまに思う。

世の中のほとんどの人が同じことを感じであろう状況や言葉も確かに世の中にはある。

でも、多くの場合は、人は自分の過去の経験や自分がどう思うだろうかという予測によってしか、他人の気持ちを推測することはできない。

予測することはできても、必ずしも当たるとは限らないし、

私の目に見えていることが、その人にとっての真実かどうかもわからない。

なぜなら、私というフィルターを通してしか私を物事を見ることができないから。

自分と同じ気持ちであるに違いないという驕りが時に人をひどく傷つけることもある。

それに気づいていない人は結構多い。

 

昔、現代文の小説の問題を小説の作者が解いたら満点取れなかったという話を聞いたことがある気がする。

現代文の試験なんて、試験を作った人の解釈を押し付けられているに過ぎない。

文を読んでそこから何を感じるかなんて、個人の自由なのに、

みんなと同じことを感じなければいけないなんて、窮屈なことこの上ない。

この時の彼の気持ちはどのようなものか?なんて、試験で聞くことじゃない。

 

この物語の中で主人公は何回か、引きこもり生活をしていたから社会性が足りなくなったとか、人の気持ちがわからなくて無神経だと、周りの人に指摘される。

小説の登場人物のセリフを考えて喋らせているくせに現実世界の人間の気持ちなんて少しもわかっていなかったんだ、と本人も考えている。

確かに、お客さんが来たらお茶淹れるでしょとか、高齢夫婦2人ぐらしの家に大福10個はないと思うけれど、そういう気が利かないというのと、

息子の前で子供ができたのは事故ですみたいなことを言うのはなんだか違う気がする。

想像力が足らない、結局は根本的にはそこに帰結する気もするから同じなのか、、

それはともかく、彼は、引きこもって小説を書いてばかりいたから想像力が足らない人になったわけでは多分ない。

本来、中学生から高校生くらいまでには身につけるはずだったスキルだと思われるから。

社会人になったからって、そう簡単に身につくものではない。

むしろ、空回りして、息苦しくて、うまく順応できない自分に嫌気がさす。

彼自身も言ったように、子供ができた責任を取るために結婚して3人での生活を智が生まれた当時に始めたとしても、うまくいっていたとは思えない。

だからかなんだか、智が一緒に住むようになって地域の人と関わるようになってから明るくなって、小説も暗いものから脱却して、最終的には清美もたまに会うようになると言うのがなんとなく納得できない。