ことばえらび 

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歌うクジラ 村上龍

歌うクジラ

 


一般的にはそこまで知られていないかもしれないがこの物語において重要な役割を持つテロメアは実在する。

細胞分裂の度に段々短くなるが、一部のがんなどの悪性腫瘍ではテロメアが短縮しないようになっていて

無尽蔵に増殖することができる。

現に、がんの研究などでテロメアはトピックとなることがある。

だからまず、テロメアをいじることで不老不死になれる未来が訪れるという設定には

なんともいえない現実的な感じがしたし、

権力者や社会的に高位にある人は不老不死になる権利を得て、

犯罪者の生物的な罰としてテロメアを活用する、というのもあり得そうで怖かった。

 


しかし、人間は、不死になりたいと本当に願うのか。

老いるけれども死ねないのは、苦しみなように思うし、

仮に不老不死になったとしてもそれはそれで辛そうである

 


ヨシマツは脳以外は全て人工物に置き換わってしまっているが、

意思に従って行動するが故に、

車椅子に括り付けられている骨と皮だけとはいえ手足がある、

人間の見た目を保っている老人たちよりも

人間らしいというのは真をついているように思う。

 


比較的多くの人が、植物状態で生きるくらいなら何もしないでくれと言う。

もちろん、ただ生きている(心臓が動いている)ことに意味を見出す人たちもいるけれど、

特に高齢者に限っていえば、

一般的にいう延命治療を言うものを希望する人はそこまで多くはないし、

延命治療をした患者家族のその後が幸せなのかどうかについては疑問を持つことがよくある。

 


おそらく多くの人が自然と思っているように、

(少なくとも本人にとっては、)

自分の意思で何かをし、周囲の人や物事と関われる状態を

’生きている’

と表現するのである。

「人間は社会的な生き物」と同じことかもしれない。

 


そういった意味ではやはり、脳というのは

人間を人間たらしめ、個人を個人たらしめる唯一無二の特別な臓器である。

 


これまで人間は産業化、効率化を推し進めてきた。

地球上には人間が溢れすぎているし、人間の作った世界が支配的すぎる

(日本にいるからよりそう感じるのかもしれないが)

人間が幅を利かせたこの世界に、時折ゾッとする時がある。

なぜ、人間はこんなに自分本位で傲慢にも世界を占領しているのか、と。

 


産業化の行き着く先として、原始的な方向というのもやはり、ありそうである。

ボノボノが見本になるかどうかは別として。