子供の頃から、なぜか罪悪感を感じて生きてきた。
別に、何か大きな罪を犯したわけではない。
ただただ、生きていることを赦して欲しかった。
小さい頃から、何か浮いている、馴染めない感覚をずっと持ち続けてきた。
なんでみんなと同じようになれないんだろう、
なんで普通になれないんだろう。
普通になれない自分は受け入れてもらえないし、理解もしてもらえないんだ、
と子供ながらに苦しかった。
どこからか、普通になることはもう諦めて、
1人で生きていくために必要なことを身につけることにした。
勉強を頑張って、1人で食っていけるような職に就こう。
小学生にしては夢がないけれど、大真面目にそう思っていた。
同時に、世の中的に必要な人になれれば、
多少普通じゃなくても、受け入れてもらえるのではないか。
とも思っていた。
結果どうなったか。
毎日、罪悪感と孤独の波が押し寄せる。
1人の時間がないと、疲弊してしまうのに、完全にひとりぼっちでは生きていけない。
数年前の日記に
「少し前までの自分は、1人でいるのが気楽でいいやと思っていたけれど、1人にしておいてくれる周りの人のありがたさに気がついていないだけだった。本当のひとりぼっちなんて、何もいいことはない。」
と書いていた。改めて見返しても、その通りだと思う。
ある程度の自己肯定感がないと、人は困った時に人に頼ることができない。
助けて、話を聞いて、と声を上げたときに、
あんたのネガティブな話なんて聞きたくない、私にはあなたの話を聞く余裕はない、など
突き放されたと感じるようなことが起こると、
それが致命傷となりうるからだ。
さらに、実際相手から言われなかったとしても、
ネガティブなことばかり言う自分という人間は厄介だし、こんな厄介者に巻き込みたくない
とも思ってしまうから、誰にも相談できなくなる。
友人関係とか恋愛関係も同様で、相手がいい人であればあるほど、
このような人間に巻き込んではいけない、と思う。
(もちろん、嫌なやつとはできるだけ関わりたくないから)結果的に1人にしかなり得ない。
なのに、心のどこかではまだ完全に諦めてもいなくて、
本当に理解してくれる何かを探してもいる。
なんとなくだけれど、作家や画家で自殺した人にはシンパシーを感じることが多い。
彼らはもがき苦しみ、助けを求め続けていた。
私も同じだ。なんとなく、長生きはできない気がする。