ことばえらび 

読んだ本 聞いた言葉 忘れられない事

ある男 平野啓一郎

他人が、目の前の人がどういう人かを考える時に、その人の属性(出自、褒賞/刑罰、経済状況、学歴など)はさして大きな問題ではないはずなのに、

大抵の人はそれを気にしすぎるし、むしろそれだけで周囲の人をジャッジしている節がある。

特に日本社会においては、属性が他者からの評価につながるからこそ本質的でない受験戦争が激化したり、学歴偏重の就活が標準になったりしている。

医者や弁護士だと言われればなんとなく信用できるような気がするし、

フリーターの40代と言われると心配される。

本人がどんな考え方をして、何を大切に生きているか、

にちゃんと目を向けてくれる人は多くはない。

 

一方で、家族が目の前の人を区別するときには思い出が大切。

思い出を共有することによって1人の人間が他人との関わりの中で形成されていく。

ベン図の重なったところを増やしていくことで自分との重なりが多くなるし、

それ以外の他人との違いが明かとなってくる。

 

ここまでの二つの視点は星の王子さまにも似たような思想がある

 

じゃあ、過去の思い出が丸ごと交換されていたらどうなる?

これは一体誰なんだ。

自分が共有してきたもの以外にブラックボックスがいっぱいある感じだろうか 

過去はそこまで大切ではないはずなのに、目の前で私と話していた人が確かにあなたのはずなのに、全然知らない人のように感じてしまう 

あなたは一体誰だったんだ、と。

結局は原さんは悪い人ではなかったけれど、悪人であったとしても救いがないわけではないはずだ。

ごく普通の幸せな家族の時間がその時あったのは事実で、それ以前の過去は本当は関係ないはずなのだから。

頭のいい人

頭のいい人

というなんとも具体性の欠けた表現が嫌いだ。

頭の良さには複数の要素があるはずで、

それぞれを定量的に評価することは難しいし、

それぞれの要素のバランスもあるし、

自分の状況で何が必要か、自分の能力を活かせているかどうかによっても評価が変わってくるはずだからだ。

頭の回転が速い人、記憶力が抜群の人、情報処理速度が速い人、独特なものの見方ができる人、奇抜なアイディアが思いつく人、多言語を使いこなす人

いずれも頭がいいと言われる要素の一つだとは思うけれど

これらを一つの能力で説明するのは不可能だ 

いわゆる偏差値の高い大学に入れる人は記憶力と情報処理速度には秀でていると思うけれど

それだって自分の興味のあることに限定されている人もいるし、

全てがバランスよくなくても素晴らしい業績を残す/残してきた方はたくさんいる

 

知り合いに上記の条件が全て普通の人より尋常でなく得意な人がいるが、

その人はその場ではぽんぽんいいアイディアを思いついて提案するけれど、

1週間も経つと本当に興味のないことはすっかり忘れてしまう 

日々物凄くたくさんのことを考えているから興味のないことを置いておくスペースがないのだと思うのだけれど、本当にすっかり忘れているから逆にこちらはびっくりする

なんかこう、平均から外れた人は凸凹しているというか、滑らかではない感じがある。

これが秀才と天才の違いということかもしれないが。

凡人には理解し得ないのが少し悲しい。

 

歌うクジラ 村上龍

歌うクジラ

 


一般的にはそこまで知られていないかもしれないがこの物語において重要な役割を持つテロメアは実在する。

細胞分裂の度に段々短くなるが、一部のがんなどの悪性腫瘍ではテロメアが短縮しないようになっていて

無尽蔵に増殖することができる。

現に、がんの研究などでテロメアはトピックとなることがある。

だからまず、テロメアをいじることで不老不死になれる未来が訪れるという設定には

なんともいえない現実的な感じがしたし、

権力者や社会的に高位にある人は不老不死になる権利を得て、

犯罪者の生物的な罰としてテロメアを活用する、というのもあり得そうで怖かった。

 


しかし、人間は、不死になりたいと本当に願うのか。

老いるけれども死ねないのは、苦しみなように思うし、

仮に不老不死になったとしてもそれはそれで辛そうである

 


ヨシマツは脳以外は全て人工物に置き換わってしまっているが、

意思に従って行動するが故に、

車椅子に括り付けられている骨と皮だけとはいえ手足がある、

人間の見た目を保っている老人たちよりも

人間らしいというのは真をついているように思う。

 


比較的多くの人が、植物状態で生きるくらいなら何もしないでくれと言う。

もちろん、ただ生きている(心臓が動いている)ことに意味を見出す人たちもいるけれど、

特に高齢者に限っていえば、

一般的にいう延命治療を言うものを希望する人はそこまで多くはないし、

延命治療をした患者家族のその後が幸せなのかどうかについては疑問を持つことがよくある。

 


おそらく多くの人が自然と思っているように、

(少なくとも本人にとっては、)

自分の意思で何かをし、周囲の人や物事と関われる状態を

’生きている’

と表現するのである。

「人間は社会的な生き物」と同じことかもしれない。

 


そういった意味ではやはり、脳というのは

人間を人間たらしめ、個人を個人たらしめる唯一無二の特別な臓器である。

 


これまで人間は産業化、効率化を推し進めてきた。

地球上には人間が溢れすぎているし、人間の作った世界が支配的すぎる

(日本にいるからよりそう感じるのかもしれないが)

人間が幅を利かせたこの世界に、時折ゾッとする時がある。

なぜ、人間はこんなに自分本位で傲慢にも世界を占領しているのか、と。

 


産業化の行き着く先として、原始的な方向というのもやはり、ありそうである。

ボノボノが見本になるかどうかは別として。

 

 

 

プラダを着た悪魔の感想②

アンディがあのままランウェイにいたら、

ミランダと同じようにひとりぼっちになっていただろう 

だからアンディがここにいてはいけないと気がつけたのは幸いだった。

 

ミランダはミランダで可哀想なところもある。

彼女は仕事に邁進して全てを手に入れてきたけれど

幸せそうには見えない。

ナイジェルを裏切った時にみんなが私に憧れる、みんな私みたいになりたいのよ、

と言ったのは、そう思ってないとやっていられないというようにも聞こえた。

ミランダはファッションの悪魔に魂を売ってしまったのだろう。

だからもう普通の人には戻りたくても戻ることができない。

 

アンディが突然消えて、ミランダとしては怒ってもいい事態だが

(普段はミランダに非があるが、今回はアンディにも非がある)

怒ってはいない。

あなたはそう生きるのね、頑張りなさい と言ってるような感じ。

ミランダもミランダで、自分の生き方には完全に満足はしていなさそうだ。

 

設定は違えど、恐ろしい魔女が治める国に少女が迷い込んで闘ってという話とか、千と千尋の神隠しと似たような話な気もする。

でもそういうファンタジーよりも現実に近い設定だからこそ、

ミランダのパワハラ上司っぷりとか、アンディが突然辞める感じが納得できなかったのだ多分。

 

プラダを着た悪魔の感想①

言わずと知れた名作映画のはずだ。特に若い女性に支持者が多いらしい。

確かに部分部分ではいいところもある。

アンディにとってランウェイでの一年余は学びにはなったのかもしれないけれど、

自分の目には『毒上司からは早く逃げたほうがいいよね』という映画にしか映らなかった。

真面目で素朴なアンディは、スタンフォード法科大学院をジャーナリストになりたいからと蹴った才女だが、なかなか自分の思った通りの職を見つけられずにいて、手当たり次第出版社に履歴書を送り、ファッション雑誌の制作部署に面接にいく。明かに彼女は場違いなのだけど、ミランダが今までのオシャレ女子はオシャレでも仕事はできない人が多かったから、服装には無頓着だが真面目なアンディを雇う。

ミランダは女王みたいな人でカリスマ性があるけれど、独裁的で自分勝手。アシスタントはアシスタントというけどほとんど雑用係で、しかもお使いみたいな用件ばかりで子供たちの宿題までさせる始末。しかもアンディのことは名前で呼ばず、エミリーと呼ぶ。夜だろうがところ構わず電話をかけてくる。そんなミランダの弱点は家族問題で、夫ととの関係があまり良くないこと。

ミランダからのパワハラにアンディは不満轟々、しかしそれをナイジェルに相談しても君の代わりはいくらでもいる、甘ったれていると言われるだけ。この職場でアンディの心情を理解してくれる人はいない。

まず、ここまででもいろいろ癪に触る。ミランダみたいな独裁者を許す組織は健全とは言えない。2006年だから許されたのかもしれないが、今の時代ならパワハラだ。

カリスマは何をしても許されるのかもしれないが、付き合わされるのはごめんだ。

ミランダから命令されたからって、開店前の店を無理に開けてもらったりハリーポッターの出版前の原稿を取り寄せたり。こんな親に育てられて、ミランダの娘たちもろくな人間にならんぞ、と思う。

 

どうやったら上手く仕事をできるかアンディはナイジェルに相談し、形から入ってハイブランドの服を身につけるようになる。

元々頭もいいし気が利く女性ではあったのだろう、痒い所に手が届く仕事ぶりで彼女は次第にミランダの信頼を獲得していく。

これは砂の女と同じような描写だ。砂の村から脱出するためにまずは村人の信頼を獲得しようとしたのと同じように、

ジャーナリストになるためにコネを獲得する必要があると考えたアンディは、

ランウェイで評価される必要性を重視し、そのためには相応の見た目とファッションセンスも求められることを理解し、外見を変える。

しかしミランダがあまりにメチャクチャだから仕事がどんどん自分の人生に食い込んでくる。

父とのミュージカルや、ネイトの誕生日パーティ、何ヶ月も前から楽しみにしていたであろう予定を仕事のせいでキャンセルせざるを得なくなる。

アンディは人生において何が優先すべきものなのか、わからなくなっている。

仕事が順調になるとプライベートがうまくいかなくなるものだとナイジェルは言ったけれど、

それはミランダに振り回される為であって、仕事ができるようになった為ではない。

アンディの周りの人たちは、アンディにおかしいよ気づいてと忠告するがアンディはそんなことないという。

気づくと人間は組織に染められて取り込まれるものなのだろう。

カリスマって怖いものだ。宗教みたいなところがある。

自身の保身のために長年の仕事のパートナーの昇進話を無下にするのをみて、やっと、

このままじゃいかんと思ってミランダの元を去る。

(去る時だって、仕事すっぽかして突然携帯を水ぽちゃするのはどうかと思うが。)

 

まとめると、

気に食わない人たちをただ拒否するのではなくて、自分の置かれた場所でできることをやってみたらそこでは認められるようになったけど、自分の信念も曲げていて生きたい生き方ではないことに気がついてやっぱりやめた。

というように私にはどうしても思えてしまう。

帰る場所

ひとりぼっちで生きていると

なんで生きていなきゃいけないのかわからなくなる時がある

帰る場所がない人は

失うものもないし

生に固執する意味があまりない

 

嬉しかったことも、

悲しかったことも、

誰か心の通った人と共有できるからこそ意味が生まれる

 

ひとりぼっちで

自分の心に塵が積もっていくと

誰にも頼まれてもないのに、

体に錘をつけてずーっと歩いているような、

そんな気持ちになる

仮にどこかにゴールがあるんだとしても

ゴールテープを切ったとき、

一緒に喜んでくれる人は

私にはいない

 

人生は誰かと生きるには短いのかもしれないが

1人で生きるには長すぎる

人間だもの

人間は感情で生きている。

理屈っぽい人だって、理屈だけで生きているわけではない。

サイコロのように、1/6の確率でどれかの目が出るわけではない。

多くの人間は、自分が優遇されていない立場の時には

自分は優遇される価値があるはずなのに、と思うか

他人と平等に、公平に扱われるべきだ と思うだろう。

一方で、自分が優遇されている立場の時に、

自分ばかりが優遇されているのは公平ではない、と

声を挙げるあるいは、権利や報酬を放棄する人は決して多くはない。

自分が損をしないならそれでいいと思っている人の方が多い。

人間とは自分本位な生き物である。