ことばえらび 

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母性 湊かなえ

母と娘とは、特別な関係だ。

言ってしまえば、母が特別なのだ。

母なる大地、母体、分母、聖母

色々母のつく単語はある。

共通しているのは、何か大きな存在で、

受け止めてくれそうな懐の深そうな感じがする

母のイメージに『受容』があるのだと思う。

赤ん坊は、(父から人工乳を与えられてももちろんよいが)

母から授乳されないと生きられない無力な存在である。

そんな子供は、周りの大人が自分にとって危険ではない、と認識する成長段階がある、と以前聞いた気がする。

空腹で泣けばミルクを与えてくれ、オムツが不快で泣けば取り替えてくれる。

母は自分に対してよい環境を提供してくれる存在だと、赤ん坊なりに学ぶのである。

 

(この時点で、子供から母に対する思いは無償の愛というより条件を基にした関係のように思える。)

 

子供がもう少し大きくなると、

親に言われたことを言われたとおりするようになる。

できれば褒められ、間違えば諭される。あるいは怒られるかもしれない。

ここで、褒められることに大きな意味を見出し、その後喜ばれること、期待に応えることに注力してしまう子と、

自分がやりたい事をして結果褒められたら嬉しい子の2タイプにおそらく分かれる。

親としてはえらいね、よくできたね、と褒めただけなのに

実はそれが子供に対して大きなプレッシャーを与えていたりする。

前者のタイプでは、褒められるかどうか、認められるかどうかが行動基準なので、

予想に反して評価されないと、評価されない事実が受け入れられず、一つの事象としてだけではなく、個人の存在そのものが否定されたような気分になる。

優等生タイプにはこのタイプは多いのではないかと予想する。

家でも怒られるようなことはあまりせず、

親が喜ぶようにいい子で過ごし、

学校でも真面目で勤勉で、模範的な生徒で、

成績が良かったりするとそれで学校でも家でも褒められる。親戚やご近所さんにさえ褒められたりする。

だが、何かができたことでしか褒められないから、何かができた時しか認められないんだ、と思ってしまう。

ルミ子とその母の関係はこれに近い。

ルミ子は気づいていなかったが、

ルミ子があんなことになった原因は根本的にはおそらくルミ子の母にある。

別に母が絶対的に間違った何かをしたわけでは決してないのだが、ルミ子と母の関係が拗れていて、一卵性母子の状態であったのに、

それが突如台風直撃で崩れてしまったのが悲劇の始まりである。

 

ルミ子はいつまでも娘のままで子供を愛せなくてかわいそう、という感想がよくある。

娘さん気分なままで、自分の娘すら母に認めてもらうための道具でしかない、という点は確かにそのとおりだと思う。

が、娘の清佳もなかなか母によく似てるとも思う。

清佳の思っていることは結局ルミ子と同じだ。

母に言われたとおり、人の気持ちをおもいやり、かわいそうな状況の人には優しくする、

母に褒められたら嬉しい。認められたい。

何で私の方を見てくれないの、と。

母に褒められたいがためにいじめられっ子を救ったり、独善的な行為をすることもある。

 

子供なんだから当たり前?

じゃあいつまで子供でいつから大人になるのだろう?子供が生まれたら?

ああ、ここで母性とは生まれつき備わっているものではないのではないか、という疑問が出てくるのだ。

母になるのは本能ではないかもしれない。

後天的に身につく技術だったりするのかもしれない。

自分よりも誰よりも子を優先し、

子がどんな状態でも受け入れ、

導き、時に必要あれば手を離す

書けば書くほど神格化された存在のように思えてくる。

 

そうかんがえると、本当に真に母である人が果たしてどれだけいるのだろう。

それに母が真に母性を持った母であることは果たして必要なことで本当に幸せなことなのだろうか。

 

私の母は、絵に描いたような母親だった。

それこそ、幼稚園の鞄やら何やらは手作りで、刺繍が入れてあって、週末にはお菓子を作り、

夜は本を読み聞かせてくれ、

怖いものがあっても包み込んでくれ、

何があっても守ってくれる、

そういう人だった。

しかし、そんな母は過干渉な所があり、

母の意向で物事を決めたこともたくさんあった。

子供のうちにたくさん失敗して、失敗しても大丈夫で、生きてていいよって分かれたら良かっただろうに、大した失敗もせずに大人になってしまったばかりに

失敗を過度に恐れ、失敗したら周りに見捨てられるに違いないと思い、必要とされないと生きてはいけないという偏った価値観を持ってしまった。

そう聞くと無償の愛なんてないのでは、と思ったりもするが、

母の過干渉は私を事故や失敗から回避したいという思いから端を発するものであるから、

愛のひとつの表現型であるともいえる。

正しい母と娘の関係なんておそらくない。

私も母にはとても感謝しているし、人生で最も大切な人といってよいだろう。

 

人が生きるのは難しい。

子供を育てるなんてもっともっと難しいに違いない。

とりあえず今の私には無理だろう。

自分の面倒すら満足にできていないのだから。